戦闘美少女の精神分析

斎藤環の「戦闘美少女の精神分析」読了したのでメモ。

ほとんどセクシュアリティってかファルスで説明するのはどうかと思わないではないけど、村上隆まで含めて非常によく現象を説明しているなあ、セカイ系はもとよりローゼンのドールズもハルヒの登場人物も彼の言うファリック・ガールだしなあ
# これに従うと長門の人気は強烈にわかりやすい
# 水銀燈だけはファリック・マザーなのが面白い
とか思ってたら、後書きと解説まで含めると大体自分の思ったところはフォローされてたんで、その意味では始点としてブレないだろうからこれから先に進むのには便利な本でありました。

特にアニメ・漫画という表現形式のハイコンテクスト性についての考察とナウシカを巫女的として取り上げているのは個人的には思うところありで、twitterに書いたセカイ系について持った最初の感想、
・セカイ系に悩む。悪く言えば中二病のヒドいやつかね?独善的。ナイーヴさに関する自己欺瞞。
・中立的にいえば矮小化された神話、神話のサブカル的な再構築、スーパーロボットの私小説化
・構成要素は日常と戦闘美少女と中二病ということかね。
・よく言えばパラレルワールドの神話の構築、サブカル的リアリズム、自己願望の投影
ととてもよくシンクロしている気がするので、っていうか自分の感想は少なくともこの方向で間違ってなさそう、ということでもう少し掘り下げて色々理解してみたいなあと思う次第です。

と同時に、少年を守る戦闘美少女、という類型にあって、戦闘美少女をファルス扱いしちゃうと、宗教でいうイニシエーションの意味合いからも色々考えられそうだなあとか思ったりもします。
その関連では、少佐を2回も少女のサイボーグに押し込んだ押井守は実はすんごいわかってんじゃないのかなあとかとも思えもします。

しかしセーラームーン以降に顕著だと思うんですが、複数の女性キャラが出ているものの方がより人気があるんじゃないかなあという自分自身の個人的推測については全く答えが得られてないので、この辺の分析をしているのを探したいところ。
最近流行ってるのはみんなそうじゃないですか。それはなぜ?みたいな単純な疑問なんですが。
となると結局は社会学的に物語構造とゲーム的リアリティについて論じているらしい東浩紀「動物化するポストモダン」は確実に必須なんでしょうかね。

その前に斎藤氏のいうところのアニメ・漫画のハイコンテクスト性について文学論的にはイタロ・カルヴィーノを読む必要あり、と判断。
それと、現実の再構築というところからすると、やはり神話・民話という最も古くシンプルな虚構に沿うことが想定されるような気がするので、神話はちゃんと読んでおかなきゃなあ、といつも通りの感想を持つのでありました。

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